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 TOPエッセイ僕らはみんな生きている>01

■001 ちょっとステキなアクセサリー
■002 ポチを連れて歩こう!
■003 不良の条件
■004 親の心
■005 そこのけ、そこのけ、病人が通る
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001 ちょっとステキなアクセサリー

山村さんは、外科病棟にいた。
病名は、腎臓結石。つい最近まで、ウチの階に居た人だ。(だって、皮膚・泌尿器科ですから)
とにかくネアカで、いつもよく笑うおばさんだった。
年齢は20歳強の開きがあったが、お互い独身だということで、「よく理想の男性像」談義に花を咲かせていたものだ。

「山村さん、手術の日は決まったの?」
「あら〜、ぴーちゃん。遊びに来てくれたの?うれしいわ。(声をひそめて)この病室、なんか雰囲気暗いのよ。前の階に戻りたいわぁ」
「あははは…」

山村さんの言わんとすることは、よく分る。
総合病院というものは、各病棟ごとに、特徴が現れる。私の所属する皮膚科は、命に関わる病人が少ないので、ことのほか、朗らかムード。子供の患者さんも多い。

泌尿器科には、若干太った方が多いような気がする。皆さん、お出かけバック(採尿袋)を下げておられることが特徴。内科は静か。お年寄り多し。長期入院の「牢名主」ならぬ「病室名主」が居たりする。まさに、病院の生き字引である。産婦人科は、新しい命の芽生える場所。そのせいか、なごやかな雰囲気。患者さんも全員女性。(当たり前)

-----と、まあこんなカンジ。
そして、当の山村さんのおられる外科病棟という奴は、何とも殺伐としているのだ。
みなさん、手術を要する病名の方々であるから、ある意味当然かも知れない。医者や看護婦も、ここ専任の人たちは、いつもピリピリしていて、文字通り「切ッタハッタ」の世界なのである。

「手術がすんだら、泌尿器科に戻って来れるよ。」
「手術は、3日後なんだって。そいでネ、ぴーちゃん。私のおなかの中の石って、スゴイいっぱいあるんだってよ!」
ニコニコと嬉しそうに言える台詞ではないのだが、流石はおばちゃん。ネアカである。

「本当。タイヘンじゃない。」
「1個だろうが、10個だろうが、どーせ手術はするんだもの。おんなじ、おんなじ。
でね、ワタシ先生にお願いしてあるのよ。取った石、全部記念に下さいって」

私はちょっと驚いた。
「そんなモン、もらってどーすんの?」
「1番大きい石は、やっぱりワタシの指輪かなぁ…。
とにかく、いっぱいあるって言うから、ぴーちゃんには、穴あけて糸通して、ブレスレットにしてプレゼントするからネ。仲良くなった記念よ!」

う〜〜む。あんまり欲しくナイ…。

しかし、手術間際の患者さんというものは、気分が落ち込みがちになるものだ。山村さんが元気なのは私にとっても嬉しかった。

「よし。ブレスレット!約束だからネ」
「きれいな石だといいわよねぇ」
「うんうん。長年熟成されてるんだもんねぇ。真珠貝みたいなモンだよねぇ」
「あらぁ、どうせなら、ルビーみたいな色がいいわぁ。血の色が染み込んでいそうでしょ?」

腎臓結石がきれいな石だという話は聞いたことはなかったが、そんなことはいいじゃないか!
辛く、苦しい筈の開腹手術を、明るい笑い話に変えられる。そんな山村おばちゃんはカッコイイ。なんだか、本気で結石ブレスレットが欲しくなってしまった私だった。


数日後、無事に手術のすんだ山村さんのお見舞いに出掛けた。
おばちゃんは、ベットの中に居た。
「あのねぇ、石、本当にいっぱい出てきたのよ。ブレスレットどころか、ネックレスが作れちゃう位、あったんだって!!」
「うわ。そりゃスゴイねえ。で、石はもらえたの?」
「それがさ、先生ったら、どーしてもやらないって言うのよ!ワタシの体から出たもんでしょ?ワタシがもらってもいいじゃないねぇ!」

「ワタシのモンなのに、ワタシのモンなのに…」
残念そうに、そう繰り返す山村さんだが、その顔色は手術の前よりもはるかに良くなっているようで、私はうれしくなってしまったのだった。 

002 ポチを連れて歩こう!

 「ポチ」とはなんぞや?
それは私たち入院患者が名付けた「点滴」の愛称である。

点滴は通常それを吊るす為のキャスター付きフックに吊り下げる。
点滴と人間は管でつながれているのだから、当然「じゃあまたネ」と置いて行くわけにはいかない(そんなコトしたら、看護婦さんに怒鳴られる)。
自然、歩く時にはキャスターごと、ガラガラ引きずって歩くことになる。
その様子があまりにも「犬の散歩」に酷似しているため、付いた名前なのである。

その日、私はポチにつながれていた。
「え〜〜、アレルギーで点滴?」と、思われる方も多かろうが、
全身の皮膚が炎症を起こしていて(軽度のヤケドのようなものだと思いねぇ)、微熱が続く(37度5分くらい)。食事がのどを通らない、夜もイタシ、カユシで、熟睡できない。

この状態が、長い時には2ヶ月でも、3ヶ月でも続くのである。
自ずと体重は減り、体力も落ちる。
たかが皮膚病、されど皮膚病。
アレルギーだって極めてしまえば、点滴も必須アイテムなのだ。

ところで、この点滴という奴、体力向上には役立つが、大きな欠点も存在する。
それは、おトイレがとっても近くなるということだ。
(直接血管内に大量の水分が注入されるのだから、当たり前と言えば、まあ当たり前)

例え具合が悪くても、自分の足で歩ける以上、トイレ位は出掛けて行かなきゃあなるまいて。
かくして、ポチとの楽しい散歩が始まるのである。

ポチを伴ってのおトイレはちょっとめんどっちい。もちろんキャスターごと、個室入りするワケだが、これが、何とも狭苦しい。
つながれている管の長さが短かったりすると、もう最悪!針の刺さった方の腕は「ばんざい」してなきゃいけなくなる。(キャスターが結構背、高いからネ。手を上げていないと針が抜けてしまうのですよ)

片手挙手で用を足す妙齢の女・・・
一歩間違えば、アブナイ人だよ。これじゃあ…。まあ、誰も見てないからいいケドネ(って、こうやってバラしてるわね)

さて、おトイレを無事済ませたところで、私は声をかけられた。
「あれ、今日はポチ連れ?また体重減ったんか?」
これは、新しくお友達になったやっちゃん。名前の通り、ヤクザ崩れの方である。(彼のお話は次回に!)。
「あ、やっちゃんってば、ポチと縁切れたの?良かったねぇ」

「いいわねぇ、ワタシなんかコレよ」
彼女はケイちゃん。腫瘍の切除手術の為に入院している、私とは2歳違いのお姉さん。姉御肌で頼りになる人だ。

見ると、ケイちゃんのフックには、なんと3匹ものポチが居る。
「今、(点滴の液を血管に)入れてるのは、2つだけどさァ、こっちの小さい方が終わったら、すぐにこの黄色い奴入れるからって…3つもポチぶら下げて歩くなんて、ヤな話」

「まあまあ、そのうち縁切りできるって」
「うんうん、そうそう」

ガラガラガラ
3人仲良く連れ立って、かわいい(?)ポチにお散歩をさせる。

ガラガラガラ
慣れてしまえば、このポチとのお散歩も、けっこうオツなもんなんである。

003 不良の条件

 前回登場した「やっちゃん」のお話である。
他に表現できなくて、前回ヤクザ崩れと書いてしまったが、ホンマモンではなかったようだ。

ただ、友人にあまり恵まれていないらしく、その友人が起こした発砲事件の余波を受けて、彼の実家にも家宅捜索が入った、ということがあったらしい。(ちなみに、その発砲事件は、私がその頃住んでいたアパートのすぐ近くで起きた。---ご縁がありますね)
その為に、親からは勘当されてしまったと言う。

私のような一般小市民から見ると、「おっとーっっ!」と言いたくなるような経歴の持ち主である。
入院生活のダイゴミは、このような普段滅多やたらとお近づきになれないような人とも、親しくお口をきいてもらえる、という所にある(と、私は思う)。同じ病気だったということも手伝って、私はこのやっちゃんと親しくなることに成功したのだ。

さて、見かけはちょっとコワめだが、このやっちゃん。知れば知るほどなかなか、カワユイお人であった。
先ず、礼儀正しい。仁義に熱い。そして、その実、人見知りするタイプ。

ちょっと行き過ぎた不良っ子が、悪い仲間と知りつつも、「こいつらだけが、オレのことを分ってくれるんだ!」などと、どうしても彼らと離れることができない。
彼と話をしていると、そんな「金パチ先生」まがいのストーリーをついつい思い出してしまう。
やっちゃんとは、そういう人だった。

やっちゃんは、あまり病室には居なかった。食事の時以外はいつでも喫煙コーナーにいた。

「はああぁぁぁ〜〜」
シケモクの紫煙と共にやっちゃんは、どデカイため息をついている。

「やっちゃん、どうしたの?」
「ぴーさん、オレ、悩んどるんよ…」
「何を?」
「オレ、もう不良やっていけんかもしれん…」

けっこーなコトだと思いますよ。ワタクシは(とは、言えまい)。
「どうして?」
「こんな、歳になってから、アトピーなんてよぉ。
髪染めたらかぶれるし、バイクの排気ガスでもかぶれるし、タバコだって医者から止めろって言われちまったし、大体、こんなブツブツ顔じゃあ、ゼンゼンカッコがつかん」

やっちゃんは、「こんな顔では仲間に会うのが恥ずかしい」そう言って、また大きなため息をつくのだった。

「オレ、最近思うんだ。不良って、健康なもんにしかできんって。
オレが不良やれたのは、親がオレのこと、健康に生んでくれたおかげだったんだなぁ、って」

「そういえば、心臓病の不良とか、肺結核のヤクザとか、あんまり聞かないよね」
「そうそう。不良は健康でないとイカンのよ。
オレは、親のお陰で不良やれてたんよ。
それなのに、親に心配ばっか、かけてさ…オレ、オヤジに謝らんといかんかなぁ」

私は、絶対に謝ったほうが良い、と答えた。
しかし、彼は勘当された身である。そうするべきだと分っていても、なかなか、電話も掛け辛いらしかった。

結局、退院の日まで、やっちゃんは親に電話を掛けることができなかったようだ。
やっちゃんは、退院後、どこへ帰ったのだろう?
良くない友人の所だろうか?それとも・・・。

「健康」ということが、どれほどの幸運であるかに、人は失ってみて初めて気づく。

「健康でないと不良にもなれない」
現在、不良である方々に、この言葉の意味の重さを分って欲しいものである。

004 親の心

 アニメのことにクワシイからと、私のことを「オタッキー」と名付けてくれた、シツレイな小学5年生の女の子が居た。 今回はこの女の子、みっちゃんのお話である。

みっちゃんは、私と同じアトピー性皮膚炎で、しかも、私よりも数段症状が重かった。
私の場合は、入院さえしていれば(無菌に近い場所ならば)、ある程度症状は軽くなる。しかし、みっちゃんは、かなり強い薬を使っているにもかかわらず、なかなか症状が改善せずにいた。
塗り薬が剥げないように、顔を包帯でぐるぐる巻きにしている様子は、見ていてとっても可哀相だった。

みっちゃんのご両親は共働き夫婦だった。加えて、みっちゃんは一人っ子。そのうえ、おじいちゃんと、おばあちゃんもいっしょに住んでいる。
そして、みっちゃんは、可哀想に病気なのである。

大方のお察しの通り、みっちゃんのベットは、お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃんからのプレゼントで溢れていた。
食事制限があったので、お菓子の類はあまり、持っていらっしゃらなかったが、ぬいぐるみ(これも、看護婦さんから、ダニがつくので持って帰るように言われた)、みっちゃんが読みたいと言ったマンガ本、雑誌、ゲーム、ラジカセ、CD、エトセトラ、エトセトラ…

みっちゃん、寝るトコあるんかいな?と言いたくなる位、色んなものを毎日、誰かが買ってきた。
同室の私たちにも、なにやかやと、色々おすそ分けを下さった。
みっちゃんが、お刺身好きだったので、夕飯時になると、小さなパックを毎日のように買っていらっしゃる。そして、それは私達にも同じく1パックずつ配られるのだ。

お刺身は結構高い。1パック3〜400円としても、私達の病室は大部屋だったので、総勢8人も居たのである。
そんなこんなで、日に最低5000円はみっちゃんの為に使っていたのではなかろうか?お金に困ってるようではなかったが、ヒトゴトながら、心配になったものだった。(入院費だって、いるんだぜ)

でも、ご家族のお気持ちも痛いほどよく分るのだ。
おばあちゃんは、お見舞いに来るたびに、「この子は、本当はとっても可愛い顔してるのよ」
とおっしゃる。
自分の、可愛がっている孫娘が、顔を湿疹だらけにして、痒がっているのだ。
何か、少しでもみっちゃんを楽しませてあげたい、喜ばせてあげたい、と思うのは当然だろう。

私達、同室の者に色々と下さるのも、少しでもみっちゃんをみんなに可愛がって欲しいからに違いない。(みっちゃんのほかは全員大人だった)

本当はそんなことをしなくても、私達はみんな、みっちゃんが好きだった。親の躾が行き届いているのか、まだ幼いのに、しっかりしていたし、看護婦さんを困らせたりすることもなかった。
寝相が悪くて、布団をベットから落っことしちゃうくらいがせいぜいだった。
ちょっとナマイキな所もあったがナニ、この年頃の女の子はみんなおしゃまさんだ。

「ウチの子をよろしくお願いします、お願いします…」来るたびに頭を下げるご両親に、
お医者さんや、看護婦さんは、「親バカ」だなぁと、影で笑っていたようだが、
さて、あなたはどうだろう?
あなたもみっちゃんの家族を笑いますか?

005 そこのけ、そこのけ、病人が通る

 具合は良くないんだけれど、日がな1日寝ているのも退屈だ。しかも、体調の悪い時にはロクデモナイ悪夢ばっかりみてしまうものである。そこで、よくみんなと連れ立って、地下の売店に遊びに行った。何を買うというのでもないが、雑誌をぱらぱらめくったり、切り花(面会の人が買う)を見たりして、気分転換するワケだ。売店のおばちゃんにとっては、いいメイワクだったかもしれない。

さて、私はこの日も、病人仲間数名と連れ立って、地下の売店へ降りて行った。
7階(私の入院先)から地下1階まで、運良くノンストップで降りたエレベーターのドアが、チンと聴きなれた音をたてて開く。
-----と。

そのエレベーターに乗り込もうと、地下1階で待っていた人達が、エレベーターから降りる私達を見て、ギョッと立ちすくんだのである。すぐに、何気ない素振りでカモフラージュされはしたが、確かに、彼らの視線は一瞬私達に「釘付け」になった。

「今、なんか、注目されてなかった?」
「されてた、されてた」
最初の台詞を言った人は、園田さん。事故によるムチウチで、首にはギブス。片足は骨折で、これまたギブス。オプションで松葉杖付き。この首のギブスがなんとゆーか、長い。そのせいで、園田さんは、思いっきり首を引き伸ばした状態で固定されている。
なんだか、どこそこの首に沢山輪っかを付けた原住民の方々を思い起こさせるご様子なんである。

2番目の台詞は小野さん。彼は薬の副作用で、髪の毛、眉毛、まつげなど、全ての体毛が抜け落ちてしまっていた。辛いことだと思うのに、「オレは男だからね。いいの、いいの。薬が効きさえすればさ」なんて、いつも明るく振舞っている。
帽子なんかも、面倒がって被らないので、なんか、見た目、ヤクザさんである。眉毛がないのが、大きいのかも。本人自身、そう見えることを面白がっているフシがあった。

「子供がさ、目まるくしてたねー」
これは、圭介君。彼のカッコが、またスゴイ。
バイクで事故った時に肩の骨を盛大に折ったのだが、その折れた骨を固定するために片手バンザイ状態なのだ。ほんのちょっとも曲げもせず、とにかく、まっすぐ天に向かってバンザイ。
そういう風にしっかり背中からデッカイ板で固定されている。

彼とエレベーターに乗り合わせると、なんとなく圧迫感を感じると、みんなからよく文句を言われていた。外の世界では、ゾクなんかやってるようなのに、ここでは、てんでサマにならないのである。

「なんか、ヤダなぁ。(病室へ)帰ろうかなぁ」
これは、前回登場のみっちゃん。みっちゃんは、この時も、顔は包帯とガーゼでぐるぐる巻きだった。

「いいんだよ、みっちゃん。気にしなくて。
ここは病院なんだから。病人がいてアタリマエなんだから」
小野さんが、そういって、眉のない目を細めてにっこり笑った。

「そうだよ、みっちゃん。ほら、手つなごう」
そして、最後が私。この時はまだ、顔がパンパンに腫れあがってて、真っ赤で、カサブタだらけで、多分知人に出会っても私と気づいてはもらえないであろう、という状態の時だった。

は〜、なんとも。
思い返すだに、壮絶なメンバーである。人様の注視もムベなるかな。
まさしく、病人の集団である。ケガ人の見本市である。
「オレら、ちょっと目立ってるカモ」
「いいんじゃない?患者代表ってコトで」
「そうそう。見たけりゃ、見てけ!御代なんかは取らないよ。病人サマのお通りだ!」
「大名行列みたいに、みんなが、ははーって、かしこまれば良いのにネ」

だけど、みんな、心は明るい。見ておくんなさいまし、このココロイキ!
そこのけ、そこのけ、病人が通る。 病人サマのお通りだ!

健康な人がびっくり眼で振り返る。その視線が辛いと感じた日もあった。
そんな私の心を救ってくれたのは、こんな、体は病気だけれど、ココロの丈夫な人達だった。


そこのけ、そこのけ、病人が通る。 胸をはって歩いていこう。
そこのけ、そこのけ、病人が通る。



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