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さくらばわくらば
「 08.提灯 」
さくらばわくらば

 夢の中の知り合い、というのがいる。夢の中ではもう十年来の親しいお付き合いを致している人なのだが、目が覚めてから考えてると印象がぼやけて不鮮明になる。たった今まで目の前にいて話し込んでいた筈なのに、目覚めた途端にふっつりと泡のように消えてしまう。そういう類の泡沫うたかた界の住人である。

 先日会った泡沫の人は、わたしの人生の師であった。わたしはその人を「おっしょさん、おっしょさん」と呼んで懐いている。提灯片手にぶらりとやってきたおっしょさんと一緒に酒を飲みながら四方山話などした。「おっしょさん」と言っても、わたしよりかは年若い青年だ。狐のような細い眼を更に細めて、始終薄笑いを浮かべておられる。色白細面のなかなかの美男なのだった。

「この菜の花の酢味噌和えは美味です」
 そう言われてわたしは喜ぶ。つまみはわたしが作ったのだ。他に肉豆腐の鉢があった。
「料理がいいと酒が引き立ちます」 など言って、おっしょさんはにっと笑う。笑った口は頬の高さまで両端がめくれ上がった。円月殺法の軌跡のような口である。カーニバルの仮面にたいそうよく似ておられた。
「おっしょさんのお持ちになったこの酒も美味しいですよ」
 ちょこを持ちつつわたしが言うと、
なだです」
「灘の焼酎です」 と重ねられた。
 灘は日本酒ではなかったか。その不審が未熟者のわたしの顔に出たのかどうか、師匠は杯を重ねつつ、
「灘、と付けると、有り難いのです」 と言うのだった。
 なるほど、確かに有り難い。出所を問わず酒は灘だ。そう思おう。思うに限る。流石に師匠は含蓄があるなぁと思う。肉豆腐はもう少し濃い味付けでも良かったと箸でつきつつ考えた。

「最近なにかと気忙しく、無意味やたらとイライラして困ります」
 など、わたしがこぼすと、
「怒らぬことです。無駄だから。私は二度と怒りません。そういう誓いを立てております」
 涼しい顔で説くのである。そうか、怒らずの誓いか。師匠は出来たお人だなぁ。こういう境地に達してみたいものだなぁ。

 酒が切れたので、台所に立った。その間に師匠の知り合いが通りかかったようである。なにか、話し声が聞こえる。部屋の中に居る筈なのに、人が通りかかる辺り、夢らしいご都合主義である。
台所まで漏れ聞こえてくる声が、どうも剣呑になっていく。皿の割れる音が響くに至って、あれあれと徳利を持ったまま急ぎ戻ってみれば、そこはなんと。
 師匠が見知らぬ男の首をきゅーっと絞めている場面であった。
「いいですか、私は二度と、怒らない、ので、すーっ」
 きゅーっ。
 師匠の色白の顔は血が上って真っ赤であった。絞められる男の首は対して蒼白であった。わたしの口から「おぉう」というような、ワケの分からぬうめきが漏れる。師匠がこちらを振り向いた。
「アブさん、怒らぬこととは気迫です!」

 そして、師匠は煙のようにかき消えた。提灯も、もう一人の男も、酒宴の席も消え去って、何もない白い空間には、
「師匠。流石、もの凄く含蓄のある……」
 とつぶやくわたしだけが残された。片手に持ったままの徳利の酒。それを一口らっぱ飲みした。
 起きてよくよくと考えると。さて、師匠には含蓄なぞ一滴たりとてないような、そんな気がしたりもするのだが。
それでもわたしは狐目のおっしょさんにまたお目に掛かりたいと思っている。



※作者注:この掌編は2009年3月16日の日記を原案にしています。

タイトル写真素材:【clef】

 END--------------------------  08.提灯






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