「 傍観者 」
もしも。貴方が神の存在を信じるのならば。
貴方は神を許さねばならない。
実際には、何ひとつ救いの手を差し伸べることのない神を…
神を信じるという事は、無力な神を許すという事だ。
■■1
「は〜〜〜い、次の方ぁ!
ハイハイ、早くしてねェ。こちとら忙しいんですからネ
あ、その書類はこちらへ。
それから、フロッピーディスクは持ってますね?
あ、そう。それそれ。
……アレ?ちょっとちょっとぉ〜
貴方のフロッピーってば、イエローじゃないですかぁ。
もう、困っちゃうなぁ!受付で、自殺した方は10番窓口って聞きませんでした?
ここは、8番!『事故死者専用』窓口ですよ。
はいはいは〜〜〜い、次の方ぁ!」
私は、8番窓口の男から突っ返された書類を抱えて、溜息をついた。
最初は受付で3番へ行け、と言われたのだ。3番に座っていた茶髪の女からは、8番だと追い払われ、そしてお次がコレ。
この年季の入った、たらい回しぶり。
まるで、お役所だ。まあ、確かにここも役所みたいなものなのかもしれないが。
まさか死んでから(いや。正しくは、その『死ぬ為に必要な正規の手続き』なんだそうだが)まで、お役所バリの書類申請をしなくちゃならんとは、知らなかった。
生前に私が聞いた死後の世界は、確か、三途の川があって、その先にはきれいな花畑が広がっているんじゃなかったかな。遠くで、昔死んだ筈のばあさんなんかが、「まだ、来ちゃイカンよ」とか何とか言ったりして……
まあ、生きてる者に、実際に死んだ奴からの話が聞ける訳ではないのだから、こんな間違いもあるのかもな。
よくTVで、霊界がなんだかんだと説いている自称・霊能者どもも、実際に死んでみて驚くんだろうさ。ははは……結構笑える話じゃないか、コレ。
おっと。いかんいかん。笑っている場合じゃないな。
とにかく、さっさと10番窓口に並ぼう!
私はもう、現世なんかに未練はないんだ。あんな歪んだ世界、もう真っ平なんだ。
私は必ず天国へ行ける筈だ。あんなに良い行いをし、そして、その為に文字通り死ぬほど苦しんだんだからな。私ほどの善人なんか、そうおいそれとは居るものか。
さっさと書類申請を終えて、そして、天国の居住権を得よう。
きっと、天国では良いことが山盛りで待っているさ。
私はそこで、永遠に幸せに暮らすのさ。
■■2
「はい。次の方、どうぞ」
10番窓口の男は、これまでの窓口の奴らと違い、なかなかの好青年な雰囲気だった。
銀縁メガネもサマになって、インテリめいた印象を与える。
にっこりと笑って、私から書類を受け取るところも気に入った。
笑うと、右頬に薄くえくぼが浮かぶ。
そうか。10番は『自殺者専用』窓口だからな。ココロにキズを抱えた者達が来るのだから、それに配慮して柔和な印象の者を置いているのかもしれない。
「よろしくお願いします」
私は、フロッピーディスクも手渡した。受付で渡されたこれには、なんでも、現世に置ける私の生き様の全てがデータ化して収められているのだそうだ。
私の生まれてから。
はいはいをし、やがて歩き始め、学校へ通い、淡い初恋を経験し、サッカーに熱中し、大学生活を満喫し、会社に勤め、勤勉に働き、税金を納め、自分自身を養い…
そんな私の数十年間の日々の全てが、この小さな、薄っぺらのフロッピーディスク1枚に、ちんまりと納まっているのか。そう考えると、なんとも不思議な気持ちがした。
「フロッピーなんかになっちゃうと、案外軽いものですね。人生なんて」
そう言った私に、男はまた微笑んだ。
「以前はね、何日もかかって書類審査やなんか、全てを手作業でやっていたんですよ。
でも、現世の方で、画期的に便利なコンピュータが発明されましたでしょう?
それで、それを見た神様がすぐに調査員を派遣しまして、まあ色々検討した結果、こちらでもね、導入に踏み切ったってワケなんですよ」
「え!?あの、神様って、やっぱり居る…いや、いらっしゃるんですか?」
「もちろんですよ。いやぁ、神様って実は新しもの好きでしてね。最近は、ケイタイ電話に夢中なんですよ。メール打つのも早いですよぉ。こう、現世の女の子達みたいにね、親指でピポパ……なんて。ははは……」
ケイタイ電話に夢中の神様?
そんなものに神様が夢中になってるから、昨今の世界情勢は不穏なんだろうか。
いや、まさかそんな。幾らなんでも。
「でも、ホント、機械化されてから、ワタクシ供の仕事は随分楽になりましたよ。こうしてフロッピーを読み込んで、それを審査プログラムで解析させれば良いんですからね。
貴方のこれからの居住先も、数十秒で割り出されますよ」
「はあ…」
必要なキー入力が済んだのだろう。男は、かけていためがねを外すと、ポケットからハンカチを取り出してレンズの曇りを拭き始めた。
「あ、第1希望の居住先は天国でしたよね?」
「勿論です!」
「最近は、地獄で鬼どもと闘いたい!なんて方も結構増えてるんですよね。
お若い方に多いんですが…。なんか、世の中変わって行きますよねぇ…
ボクなんかにはついていけないですよ。ホント…」
「はあ、それはそれは…」
ピーピーピー。
男が操作している機械の小さなランプが点滅した。
「あ、お待たせしました。審査結果が出ましたよ」
男はメガネを掛け直した。
■■3
「審査結果が出ましたよ」
男の声に、私はツバを飲み込んだ。いよいよだ。
これで天下晴れて、私は天国行きのキップを手に入れるのだ。
そして、最高に幸せに暮らしてやるのだ。私を死に追いやった奴らが地獄でもがき苦しむのを、遥か上から眺めながら、笑ってやるのだ。
「えーっと、貴方は『地獄』行きですね」
私は我が耳を疑った。男は相変わらず、温和な笑みを浮かべている。
「そ・そんな。そんなバカな!私は間違いなく、『天国』行きの筈でしょう!?」
「あ〜、お気の毒ですが…」
そう言いながら、男は私の書類に承認印を押そうとする。
「ち、ちょっと待ってくれ!これは何かの間違いだ!!
あんた、コンピュータの操作を間違えたんだよ。そうだ。きっとそうに違いない!」
「あ〜、お気持ちは分りますが、機械もボクも、間違っちゃいません」
私は怒りで自分の顔が真っ赤になるのを自覚した。
「そんな馬鹿な話があるか!あんた、私が何で自殺したと思ってるんだ!?
あんたはそれを分ってて言ってるんだろうな!」
私は激怒していた。そうだ。私が何のために死んだのか。死を選ばざるを得なかったのか。
「ええ。ちゃんと分っていますよ。
貴方は5ヶ月前に、駅のホームから線路上に転落した人を救おうとしたんですよね」
「そうだ!私は良いことをしようとしたんだ。自分の命の危険も顧みずに!!」
「でも、貴方にはその人を救うことが出来なかった」
「それは…!」
私は思い出していた。あの日、あの時。あの、私の運命を変えてしまった瞬間を……。
■■4
暑い、夏日だった。
私はあの日、営業周りの途中で、ホームに入る列車を待っていた。
うだるような暑さと熱気。一体この都会の真ん中のどこで鳴いているのか、かすかにミンミンゼミの声が聴こえていた。
私の前に立っていた女の身体が不意にぐらりと揺れた。
「キャアア」
「落ちたぞ!人が落ちたぞー!」
抱き留める間もあればこそ、女はそのまま線路へ転げ落ちた。この暑さで気分が悪くなったのだろう。気を失っているのか、ピクリとも動かない。
女は妊婦だった。
あっ!と思った時にはもう、私は飛び降りていた。危険な真似をしている、と認識したのは、その後からだ。ホームには今にも列車が入ってくるかも知れない。
必死に女を担ぎ上げようとするが、女の身体は想像以上に重い。腹に子がいるのだから、手荒に扱うことも躊躇われた。
「誰か!誰か手を貸してくれ!!」
私はホームの上に居る者達に助けを求めた。
「重いんだ!私一人じゃ無理なんだ!!」
ホーム上の、おそらく全ての目という目が、私と妊婦を見ていた。
私の窮状を見つめていた。
「誰か…」
「危ない!列車だ!列車が入って来るぞ!!」
「キャアア〜やぁだぁあ〜!」
「いやあ、早く、早く助けてやってよ!」
「私一人じゃ無理なんだー!!」
迫り来る列車の巨体。つんざくようなブレーキ音。ホームの女達が手で顔を覆った。
■■5
あの後のことは、かなり記憶が途切れ途切れだ。
ただ分っている事は、私が助かったという事。そして、落ちた妊婦は死んだという事。
私には…私一人だけでは、妊婦を助けることは不可能だった。
私は迫り来る列車の恐怖に負けて、妊婦をそのままに逃げたのだ。
『無残!妊婦見殺しにされる!!』
『緊急避難※か否か!?分かれる世論』
『失笑を買う中途半端な正義感!』
連日連夜、そんな見出しが新聞紙面に踊り、昼夜を問わず、私はマスコミに追い回された。
「身重の女性を見殺しになさった、その時の心境を一言!」
「自分だけ助かったことに対して、罪の意識は?」
「お腹の赤ちゃんの産み月、ご存知ですか?来月だったんですよ」
「遺族の怒りの声をお聞きになりましたか?それについてご感想は?」
勤め先からも、一方的な解雇通知が届けられた。
友人や、知人、親族ですら、私に嫌悪の目を向けた。
鳴り止まない嫌がらせの電話音。ドアのチャイム。ほんの少しのカーテンの隙間からでも、シャッターを切るカメラマン……
もう、耐えられなかった。
私は浴室の天井を通るパイプに縄をかけ、そして首を吊ったのだ。
※緊急避難:[刑法第三七条
]現在の差し迫った危難を避ける為に、やむを得ず行った行為。例えそれが他者の権利を侵害するものであっても罰せられない。
例:船が沈没し、救命ボートは既に定員一杯だった。海に投げ出された男がボートに乗せてくれるよう頼んだが、これ以上乗せるとボートは沈み、全員が死ぬことになる。ボートに乗っていた者達は、あえて彼を見殺しにした。
この場合、ボートに乗っていた者達は、緊急避難となり、殺人罪に問われない。
■■6
「確かに…」
知らず、握り締めていた拳が震える。
「確かに、私にはあの女性を、腹の中の子供を、救うことが出来なかった!!
そうだ!その通りだ!!」
10番窓口の男は、静かに私の口元を見つめている。
「だが、私は彼女を救おうとしたんだ!必死で!命がけで!!
あの時、誰かあと一人でもホームから飛び降りて、手助けさえしてくれていたら、あの妊婦は救われていたんだよ。あと一人でも居てくれたら」
「でも、誰も貴方以外は飛び降りなかった」
「そうだ!みんな、ただ見ていただけだ!!そんな奴らが責められなくて、何故助けようとした私が…私だけが責められなくてはいけないんだ!!何故だ!!!」
「貴方は妊婦さんを助けようとして、途中でそれを放棄してしまった。他の方は最初から何も手を下さなかった」
「あんたは傍観者の方が偉いとでも言うんですか?何もしなかった、ただ見ていただけの奴らの方が!!」
「ええ。そうですよ」
男はにこやかに笑った。右頬のえくぼが浮き上がった。
「そうなんです。神の定めし法則では、『何もしない』者が一番偉く、賢いのです。
その証拠に、神様は貴方達人間の為に何もしやしないでしょう?」
そう言って、10番窓口の男は、私の書類に『地獄行き』の承認印をポンと押した。
「はーい。次の方どうぞー」
■■後書き
如何でしたでしょうか?
軽いノリでもって、かなりシニカルなことを書いてみました(笑)。
まあ、現実にこんな事件が起こったとしても、このお話の主人公のように世間に責めたてられる事はないだろう、とは思うのですが……
昨今の世相ってようワカランからねぇ…
どうか、神様の存在を信じる団体・個人の方々の中傷・非難ばかりはご勘弁下さいませ。
一般の方からの感想でしたら、どんなものでもOKよん♪
宇苅つい拝
タイトル写真素材:【NOION】
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