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165 まぁた、夢で死んだ
2007年10月9日(火)

夢というのは不思議なものだが、どんなに唐突な始まりでも、どこまで突拍子もない内容でも、ものすごくすんなり納得できているところが、実は一番の摩訶不思議でないかと私は思う。
っつーか、夢とは「いきなりの納得」から始まる。

先日見た夢の中。私は既に死んでいた。
死体の山が築かれていた。ナチとかポルポトとかパルチザンとか、そういう系の大量虐殺が行われたらしかった。私は死体の山の上の方で他の誰ともつかぬ亡骸どもと折り重なって死んでいる。仰向けになった私の胸の上には虚空を掴む形で固まった腕が一本のっているのだが、これも誰のものかは分からない。自分自身の腕は不自然な形に折り曲がって誰かの体の下敷きにされているようだ。手足が他の遺体のそれと絡まって、それで山の上からずり落ちないですんでいるのだった。その安定に安堵を覚える。山の下の方の死人は重かろうな。潰されて気の毒だな、などと考えたりもしている。
何故死ぬハメになったかトカ、死んでるのに意識があるのは変じゃないかトカ、そういう疑問はゼロである。死んでいる自分を「いきなり納得」してしまっている。そうして更に、「これは、またまぁ……」と思っちゃったりもしているのである。なんともはや、想定外の死であることよ。

自分の死の場面の予想として、私は先ず「畳の上」――つまりは、ごく一般的な病院のベットの上であるとか、私室の布団の中であるとか、そういうもの――を上げていた。後は、事故や災害に巻き込まれた場合の路上での死。そして、確率的には低かろうが事件に巻き込まれた場合の死。インドア派の私には皆無っぽいが、海で溺れるとか山での遭難とかも、一応あったりするかもしれない。そこらが想像の限界であった。
しかし、そこまで想像の枠を広げていたにもかかわらず、現在のこの死に様なのである。

そうか、思いつくことすらない不幸でも、結局は諾々と受け入れざるをえないのだなぁ。さすが人生とはなまなかならぬ……、と恐れ入りつつもやはり納得。夢の中の私とはおそろしく物わかりがおよろしい。もうちょっと命根性を見せたらどうだい。なぁ私。

気がつけば、頭上には雲一つない青空が広がっていた。
「そうか、それでも空は青いか」
それも、妙に納得できた。


関連日記:以前見た変な夢→「夢で死んだ

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