さくらばわくらば
「 06.破損 」
影の奴が切れた。彼が「君の影、なんかヘンだよ。ヒラヒラしてるよ」とのたまうので気がついた。
肩の辺りから腰までざっくりと深く切れている。袈裟懸けじゃん、これ。わたしは思う。
だから、包丁なんて攫うから。子どもの悪戯にしては度を超しているのだ。度を超した悪戯は命の危険を伴う、と思う。やっちゃいけない。
わたしの非道い悪戯は三歳の時初めての海水浴に連れて行って貰った時の事だという。いっしょに行った年の近いイトコ達はびーびー泣いて自分からは海に近寄ろうとしないのに、わたしだけは平然と浮き輪に捕まってぷかぷか気持ちよさそうに海を楽しんでいたそうだ。この顛末は覚えがない(まあ普通、三歳の時の記憶なんて稀だろう)が、私の場合は記憶媒体として影がいる。そうか。波間に影は出来ないものね、とそう結論づけている。
あんまり悠然と浮き輪で浮かんでいるものだから、母はちょっとだけわたしから目を離してしまったらしい。嫌がるイトコ達をなんとかを海に引きずり込もうと、多分してたりしたんじゃないかな。その隙にわたしは忽然と消えたらしい。真っ青な母が周囲を見回す。わたしは周囲が「あっ」と驚くような沖にちゃぷちゃぷとたった一人で泳いでいたらしい。更なる沖を目指してちゃぷちゃぷ小さな足をばたつかせていたらしい。母は幼少期を海の近くで過ごしたそうで、幸い泳ぎが達者だった。「お願い、虻、浮き輪を放さないで。放さないで……」必死で沖の私まで泳いで、わたしの浮き輪をしっかと掴むまで神様にお祈りしたそうだ。そうしてもう二度と海水浴には来ないとそう誓いを立てたそうだ。
岸に戻ると、いっしょに居た伯母達が「まぁまぁ」や「よかった」やら言ったらしいが、当然一切の覚えがない。わたしは何故沖を目指したんだろう。どうして沖へ沖へとただ一人小さな身空で泳いで行ってしまったのだろう。ときどきそのことを考える。
あぁ、いけない。影の話だった。そそくさと影を庇うように体を丸めつつ赴いた彼の部屋でわたしは正座をして、……そうなると影も必然正座するので、とくとくと説諭した。危ない物や人様の大事な物を攫っちゃいけません。みんなが迷惑をするんだよ。それでもって悪いことをすると自分に返ってくるんだよ。いいね、わかったね、だからもう包丁をお返しなさい。
わたしが影を説諭する長い間、彼は後ろから私に向かってずっと卓上ランプを照らしていてくれた。壁に正座した影が居て説得がしやすかった。影の、影としての特質で愛いと思えるのは、わたしから逃げようにも決して逃げられないことだ。影は照明の中でもゆらゆらと袈裟懸けの傷を揺らめかせていたが、やがて、含んだ物を放した。たゆたうように薄墨の黒から現れたのは、包丁であった。わたしはそれを拾いあげる。あぁ、これで食が豊かになる。
そのまま彼に照らして貰って、私は影の傷の繕
繕い終えて影の無事を確かめてから、わたしは少しだけ影を褒めた。包丁を放して偉かったねとか、お前は手触りは心地いいねだとか。影と話をしながら少しだけわたしは泣いた。何故だろう。涙が勝手にこぼれてきたのだ。
彼はその間もずっと光を差し掛けてくれていた。暗い夜道を照らしてくれるような、そんな、あたたかい光だった。
タイトル写真素材:【clef】
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