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さくらばわくらば
「 04.包丁 」
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 鍋にお湯を沸かす。沸騰したお湯に鰹節をどっさり使って出しを取る。煮立ちすぎないように気を付ける。ざるで出しを濾す。良い香りがする。大蛇丸おろちまるが臭いを嗅ぎつけて寄ってきた。わたしは調理の手を止めて袋から出した鰹節をほかほかのご飯に混ぜてやる。「ほら」と椀を床に置いてやるとカツカツと音を立てて食べ始めた。赤い小さな大蛇丸専用の漆の椀である。父が二つ買い求めてきた高価な品だが、すぐに母は大蛇丸にやってしまった。ペアの黒い漆椀の方は水入れになっている。同じく父が買ってきた漆の盆に載せてある。エサは盆に載せておくと大蛇丸が食べこぼした後の掃除がしやすい。「にぃぃー」と大蛇丸がわたしを見上げて鳴いた。

 大蛇丸はうちの飼い猫である。茶白のオスで私が十年前に拾ってきた。最初わたしは「たまちゃん」ととても安易で猫らしい名前を付けていたのだが(それ故に愛らしい、と思って)、母が「我が家の一員なら虫の字を入れないと」と拘って、大蛇丸なんて仰々しい名に変えてしまった。抗って、わたしだけは「たまちゃん、たま、たま」と呼び続けたが、その頃の食事はまだ母が作っていて、当然猫のエサやりも母だった。動物はエサをくれる人に懐く。名前の軍配は母に上がった。名前の所為だか大蛇丸はよく食べよく遊びよく寝て、とても大きな猫に育った。もう老猫だが毛づやが子猫の時分と変わらない。このままあと十年も二十年も生きて猫又になるつもりかもしれない。大蛇丸のしっぽはぬめらかに長く伸び美しい。これが二本になるとしたらと想像するだに楽しみで仕方ない。大蛇丸は名の通り尊大で、我が家で自分が一番えらいと思い込んでいるふしがあり(上げ膳、据え膳、確かにそうだ)、絶対に出しを取った後の鰹節なんか食べてくれない。人間様だって無論食べない。だからこれは廃棄する。

 猫の小さな牙がカツカツと椀に当たる音を聴きながら、わたしはお昼ご飯作りを再開する。取った出しでみそ汁を作る。乾燥ワカメをほんの少し、豆腐は……ちょっと逡巡して手で崩した。冷蔵庫からカイワレ大根を取りだしてこれはキッチンばさみで切る。頃合いに味噌を加える。
 次は梅干しと昆布の佃煮でおにぎり。母と私の分二つずつ、母の分は少し小振りに握る。海苔をさっとガスの火で炙って巻く。最後は玉子焼きである。さっきの出しと玉子と薄口しょう油を混ぜ合わせる。うちの玉子焼きはお砂糖は使わない。春子さんのところの玉子焼きは甘いのだそうだ。じんじろ君とまゆらはこの前、目玉焼きに何をかけて食べるかでケンカをしていた。もう仲直りしただろうか。そういえばわたしもしばらく彼と会っていない。

 みそ汁を装ってから、「ご飯ですよー」と母を呼ぶ。母はお皿の上の切っていない玉子焼きとみそ汁を実を覗いて「まぁだ?」と訊いた。
 「うん。まだ」玉子焼きをはしで割って取り分けながらわたしは答える。
 影が包丁を攫ってしまったのだ。この家に包丁は一本しかない。故に食事に窮している。
 「今日の夜は店屋物にしない?」私は母に提案した。
「そうねぇ」
 母は影に甘いのである。



タイトル写真素材:【clef】

 END--------------------------  04.包丁






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