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代償compensation 〜幸福流星〜


作・オカザキレオ



 その画廊の絵を見ると、人は幸せになるのだと言う。
これまでに味わったことのないような幸福感を得るのだと言う。
その絵を手に入れる為に世の金持達はこぞって大金積むのだと言う。
全財産を叩いても、惜しくないほどの幸福がその絵の中にはあるのだと言う。
【幸福画廊】
そこは不可思議な人生の一瞬が描かれるところ・・・。

■1

 その日、幸福画廊は珍しく慌ただしかった。客が滅多に来ない画廊でも、その客をもてなすことはまずない。まして絵を売る為の宣伝プロモーションを何一つ行うわけでもない。
 画廊オーナー兼画家である白野。その執事の朱里。メイドの小鳥。この三人が幸福画廊を構成している面々だが、白野は自分のプライベートルームでいつものように静寂と神秘のベールに包まれている代わりに、二人はとにかくせわしなく動いていた。
 見たところ、いつもの光景である。いつもならたまに白野も手伝う事はあるが、その度に朱里に追い返されるのだ。だが今日は白野が最初からいなかったかのように、その呼吸が感じられない。それを特に気にすることなく朱里は作業を進めていく。小鳥はそんな朱里に疑問符を浮かべつつ、床にモップをかけていく。いつもは白野様一番のインケン執事が・・・・・
「小鳥さん、まったく貴方ときたら日頃の怠慢がこのような結果になっているのですよ」
 小鳥の心の声を察してか、意地悪く言葉が飛ぶ。
「お客さんが来るならもっと早く教えてよ、インケン執事」
 小さい文句、不満が火花を散らすたびにこの常套句が飛び交う。まぁ、この幸福画廊では日常茶飯事で白野もきっとプライベートルームで苦笑を浮かべているに違いない。
「そこ埃がありますよ」
「・・分かってるわよ」
「塵も積もれば山となり、この画廊の品格が疑われるわけです、小鳥さん」
「あんたの性格の悪さで損なわれていると思うけど」
「礼儀を尽くす私は、貴方の野蛮粗野極まりなさに比べたら品格を失っていませんので」
「なんですってぇ!」
 小鳥の怒号に、しかし朱里は優しすぎる微笑で耳元に囁く。
「かわいい人です。貴方は」
「は?」
 長身で聡明と言える顔つきと瞳。肩くらいまでの髪を後ろに束ねている。その黒髪は大和撫子と言われる人達よりも、深く深い漆黒。本来、彼は美青年だ。
白野を巡る宿敵でないのであれば、町でもしすれ違っただけなら、小鳥も振り向いて魅了されていたかもしれない。それほどまでに美しく、存在している空気が違う。白野の消えてしまいそうなくらい希薄な儚さや美しさとは逆に、そこに存在して白野を守り通す美しさ。時々、小鳥は目眩すら覚える。
 普通の女性なら腰が砕けんばかりに魅了されただろう。だが小鳥は-------
「オイタは駄目ですよ、小鳥さん。今日は大切なお客様がいらっしゃいます。粗相のないように。白野様はこの日を楽しみにされておいでなのですからね。万が一の時は貴方の可愛いお尻の穴に、フランスパンを十本ほど突っ込んで幸福画廊から追い出すので、そのおつもりで」
「・・・・・・」
 小鳥は思う。性格が絶対にねじ曲がっている。
「十八禁的な発言は私らしくありませんでしたね。小鳥さん、失礼致しました」
「変態」
「貴方を追い出すためであれば、私は変態にでもなんでもなりましょうとも」
 その邪笑が真意か虚偽か。完全に虚偽ではないのは事実だ。もしもこれがほかの女性で、その系統の方であればきっと喜んだかもしれないが。朱里手製のフランスパンはとても歯ごたえがあるが噛むと口の中で柔らかさが・・・・・これじゃ私が変態だ。
 小鳥は最後の一拭きを終えてモップを片づける。
 朱里もテーブルクロスを新調し、料理を作り、窓を拭き、いらないゴミを片づけ、あらかた終わったのか小さく息を吐く。
「なんでもっと早く用意しとかないのよ」
「彼らの来訪はいつも突然だからですよ」
「え?」
 ドアのチャイムの音がする。
 チャイムの音が、鳴って、音が伸びて止まらない。
 小鳥は耳を疑った。壁にかけてあった時計が恐ろしいスピードでグルグルと回っている。右方向へ。左方向へ。窓が光を失う。カーテンがさっと引かれた。
誰が手を出したわけでもない。カーテンが、カーテン自身が自分でカーテンを引く。
「なに・・なんなの・・どうなってるの、これ?」
「来訪ですよ」
 朱里は微笑み、ドアノブに手を当てて引いた。
 風--------。
 吹き荒れる風の中、確かに来訪者がそこにはいた。女の子が三人、男の子が二人。
 中央に立っていた銀髪の少年。その銀髪が風に弄ばれている。その瞳が妖しい月の夜のように、紅くルビーのように輝いていた。白い肌は硝子のように美しい。小鳥は息を飲んだ。綺麗だけど、強い意志がその瞳の奥底に宿っている。でも決して攻撃的じゃない、柔和な笑み。
「お待ちしておりました。白野様は心待ちにされております。銀様」
 朱里は深々と頭を垂れ、礼を示す。
「僕も、画伯に会うのを楽しみにしていたよ」
「楓様もようこそ」
 コクリと黒髪の少女は頷いた。朱里と同様に漆黒だが、深すぎる黒。その中に虚無があるような、そんな引き込まれてしまいそうな黒髪が、肩より短く無造作に切られている。その瞳は黒曜石のようであり、その双眸に小鳥は吸い込まれてしまいそうになる---------ブラックホールすら連想させる。その少女の表情には極端に感情が浮かばない。
「そちらのお二方は」
「愛と瞳。僕らの友達だよ」
 と背の短い方が愛、背の高い方が瞳と銀は付け加える。どちらも二人に比べると等身大の少女。せいぜい高校生ぐらいか。そんな普通の人の表情を見ることができて、小鳥はほっとしている。瞳は腰まである髪がさらさらで風になびいている。その目は少しシャープだが、優しく銀達を見ている。
 愛はポニーテールだが、もう一人紹介されていない少年の横にしっかりと立っている。大きな瞳、優しい微笑。全て包み込むように、優しく笑んでいる。無邪気のような、それでいてしっかりと自分の足で立っている。その小さな体だからこそ尚更、そんな印象が濃い。
「で、なんで俺に挨拶は無しなんだ、執事?」
「これは玄君、ようこそ」
「今更、遅いっ!」
 と朱里の鼻頭を指で弾く。世界広しと言えども朱里の鼻を指ではじいた男を小鳥は知らない。
「貴方の汚い手で私の鼻が歪んだら責任をとっていただけるのですか?」
 としかめた顔で苦笑すると
「お前が醜くなったら俺が存在を消してやるから安心しろ」
 とニッと笑む。小鳥は思う。言えない、私には言えない。そんな事・・・だが朱里もそんな玄とのやりとりにリラックスしているように思える。珍しいとさえ思った。小鳥は第三者にリラックスして軽口を叩く朱里を知らない。だからこそ尚更、不思議と思うのだ。
 以前白野は朱里をこう評した。
『朱里は人間に興味がないんだよ』
 もしもそうなら彼らは人間では無い事になる。小鳥をからかう事はあっても敵意を向ける事はないのであれば、小鳥も人間ではないのか? その前にあの男は小鳥を一人のレディーとして見てすらいない。なんだか自分で想像して、気分が重さ倍増だ。
「ようこそ幸福画廊へ」
 朱里は一礼をする。
 銀達の後ろでドアがけたましく閉じ、嘘のように屋敷に静寂が戻った。
 チャイムの残響音も無い。時計もいつも通り、元の時刻を刻んでいる。ただカーテンは引かれたまま。それに朱里は触れようともしない。
「ようこそ、幸福画廊へ」
 二階からゆっくりとした足取りで、主人の繊細で優しい声音が響く。白野は満面の笑顔で銀達を迎えた。小鳥はその声にようやく緊張感を解くことができた。
「お久しぶりです、画伯」
 銀は軽く会釈をする。楓もそれに習い、白野に一礼するが、それを白野は手で制止した。
「ここでは遠慮は無用と前にも言ったはずだけど」
「お招き頂いたからにはそうもいかないでしょう、画伯?」
 銀はにっこりと笑い、白野の手を力強く握った。
「こちらへどうぞ」
 朱里は微笑をたたえ、玄達をゲストルームへ招く。すでにテーブルにはローストビーフやら手製のクロワッサンやらシチューやらケーキやらフルーツやらが所狭しと並べられている。全て朱里が作った物だ。時々、この執事の才能が羨ましくなる瞬間である。
「さ、白野様も一緒に--------」
 と小鳥が声をかけようとした時、すでに白野は銀と楓をつれて自分のプライベートルームに消えていた。小鳥は目を点にするしかない。もう今日は何がなんだか全く分からない。
 朱里は微苦笑を浮かべて、紅茶のカップを差し出した。
「小鳥さん、貴方も一息ついて下さい。今日はとても大切な日ですから、覚えていてもらわないと」
 アップルティーの湯気に吸い込まれそうになりながらも、その【答え】を知りたがっている自分がいた。それを見やりながら、玄は差し出されたコーヒーを飲み干す。
 まだショータイムには少し早い。

■2

 瞳と愛は改めて画廊の中に飾られている絵を見て唖然とした。整然と並べられているが、そこにジャンルもタッチも別々の絵が統一感無く飾られている。空飛ぶ空中都市のような絵、一人の女性の肖像画、中国を連想させる山水画。ピカソのような崩した抽象画。それは何かを抱きしめている人のようにも思える。そして、それにまじって朱里と小鳥がいた。朱里は鋭い目で煙草をふかしている。小鳥はひたむきな表情で、部屋を片づけている。ひたむきな姿に好感がもてる。
「やれやれ」
 と朱里は苦笑した。
「いつのまにこんな絵を描いていたんでしょうかね」
 小鳥も唖然として見る。いつ白野は自分を見ていたんだろう? ありのままの姿がここにある。白野のプライベートルームのベットメイキングをしている時の姿だ。小鳥は朱里とちがって得意な技能もない。だからせめてもと白野の部屋の掃除やベットメイキングは心をこめて行っている。あの場所に白野はいなかったのに? と首をひねってしまう。そしてなんだか恥ずかしい。
「執事は煙草吸うのか?」
「たしなむ程度には。今日は無礼講でしょう? 失礼させて頂きます」
 と朱里は懐から煙草を取り出す。黒いケースに黒い煙草。それを黒のジッポライターでつける。その紫煙を少年少女に害さないように吐きだした。
「玄君は吸わないのですか? もしかして禁煙されたのですか?」
「馬鹿! 今、その話題は出すな!」
 と愛を見るがすでに遅い。愛はじっと玄に怒りの視線を送っている。
「やっぱり煙草吸っていたんだね」
「あ、あのな・・前だよ、前。お前らに会う前」
「でもこの前、煙草の臭いしたよ」
「してねーよ」
「分かるもん。キスすれば、すぐ分かるよ。吸ってるか吸ってないか」
「待て待て待てっ! 今、此処でそんな事を言うな」
「煙草は体に悪いんだよ」
「体に悪い物は煙草だけじゃないだろ?」
「どちらの管理人も煙草吸っているので問題ないでしょう」
 朱里は意味不明な事を言うが、火に油を注ぐだけだ。
「執事さんは黙っててください」
 静かに怒るからなお怖い。朱里は微苦笑して紫煙を味わう。
 その会話を楽しげに瞳は笑みを浮かべつつ、アップルパイに手を伸ばした。
「わざとでしょ?」
「今まで玄君にはやられっぱなしでしたからね。ようやく反撃の方法を見つけられて安堵しています」
 と二人のやりとりを見て、笑みを浮かべる。少年は成長するのが早い。獰猛な視線を見せた玄が愛の前ではあんなに優しい表情を見せている。あるいはあの少女に感化されたのかもしれないが。
「この画廊の絵は本当に幸せにしてくれるの?」
「ええ、勿論です。その方の望む幸福がそこにあるはずです」
「ふーん」
 と瞳はコーヒーを飲む。豆から挽いていれているので芳醇な香りに包み込まれる。味もいい。玄の淹れたコーヒーに匹敵するほどだ。玄もまた料理にはうるさいタイプだから。瞳としては料理に困らなくていい。愛は少し不満気だが。
「ただし莫大なお金が必要ですけどね」
「そこが怪しいのよね」
「は?」
 朱里は目を点にした。
「幸せを金を出してまで手に入れたいというその感覚が」
「と言いますと?」
「お金に換算できる幸せが果たして幸せ?」
「貴女は面白いですね。ですが、お金は問題ではありません。それはあくまで白野様の絵が評価されたという数字でしかありません。ぶっちゃけて言ってしまえば白野様は絵をタダで渡しかねない方です。ですが、それでは画廊の経営が成り立たない」
「幸せを絵が見せてくれるの?」
「絵の中にその方々が幸せを見つけるのです。その幸せはその方だけが理解できるものです」
「私には理解できない」
 とチーズケーキにも手を伸ばした。とその手が止まる。目の前に銀と玄、楓の肖像画がある。ぎこちなく笑っている三人。あるいは照れ笑い。
「いつの間に」
 玄は苦笑し呆れる。
「それは私にも返答できない質問ですね。我が主の気まぐれには」
 玄はさらに言葉を失う。その隣には愛と瞳が一緒に座っている絵が。その隣に玄と愛が手を繋いでいる。さらにその隣には朱里と玄が。小鳥と瞳と愛が。その隣にはここにいる全員が。そしてその隣には、何も描かれていない絵が---------正確には黒く塗りつぶされた絵がそこにある。
 小鳥はその黒い絵に釘付けになった。
 カラン。鈴の音。リン。チリン。二階から聞こえる。
「ショータイムの時間か」
 玄は立ち上がる。小鳥は無意識に窓のカーテンを開けようとした。誰かが囁く。白野様? 
 小鳥ちゃん開けてくれないかな?
 このカーテンを開けて。暗いから開けて。暗いのはイヤだよ。
 開けて。
 開けて。
 ねぇ小鳥ちゃん。お願いだよ。小鳥ちゃん。
 ボクヲ、ナカニイレテ、ホシいンダ、コトリチゃン---------
「白野様」
「いけません、小鳥さん!」
 朱里は煙草の火を消し、小鳥の手を掴む。
「でも白野様が--------」
 虚ろな声。目。小鳥は誰かに命令されている。小鳥はその命令に従う。白野様のお願いだもの。白野様がそう言うんだもの。朱里は白野様が嫌いになったの? 白野様とても苦しそうで、とても怖がっていたのに? 白野様の声を聞いてあげてお願い--------
「小鳥さん、それは白野様の声ではありませんよ、よくお聞きなさい」
「シラノさま、しらのサマ、シラノさま、しらのサマ、シラノさま、しらのサマ-----------」
 呪文のように呟く。その手がカーテンに伸びる。その手を今度は玄が取った。
「飲まれるな。画伯の声はこんな陰険じゃない」
 すっともう一方の手で十字を切る。小さな炎が宙に浮かぶ。その炎が小鳥の双眸を照らす。意識の色が少しずつ戻ってきた。玄はニッと笑む。
「私は・・・・・」
 宙に浮かぶ炎を見て、まるで狐に騙されたような顔になる。夢なんだろうか? 今日は何から何までおかしい。変だ。こういうのを悪夢というのかもしれない。小鳥は自分の頭のかわりに朱里の鼻を拳で殴りつけたい衝動にかられた。
「私に八つ当たりはやめましょうね」
「しないわよ。つーか、私何も言ってない」
「目が殺意で一杯でした」
「ヤル時は一思いにやれ。躊躇うな」
 何気に笑えない台詞を玄は吐く。玄は楽しそうな表情で手のひらをひらひらと揺らす。炎が増える。一つ二つ三つ四つ五つ六つ七つ八つ九つ十、二十、三十、三百・・・・・・小さな炎が円を描く。弧を描く。それはまるで火種のダンスのようだ。
「なに、これ」
 小鳥は呻いた。これこそまさに悪夢だ。だが瞳も愛も驚くことなく玄の行為を見つめている。朱里もまた。火種はそれぞれ等間隔で定位置につき、ふわふわと浮かんでいる。ふわふわ、ふわふわと。
「悪夢だわ」
 小鳥は頭を抱えた。
「じき慣れる」
「慣れないわよ、こんなの!」
「その元気がありゃ大丈夫だ」
「大丈夫じゃない!」
「嬢ちゃんは悪夢と言うけど、何をもってして夢で何をもって現実だ?」
 少なくとも小鳥は玄より年上だが、玄は気にする様子も無い。
「は?」
「悪夢と言うが、これはとびきり楽しいイリュージョンかもしれないぞ?」
「素敵な魔法ですが、火事はおこさないでくださいね」
「それはそれで派手でいいな」
 それはまた笑えない冗談だ。
「玄君、少し悪ふざけがすぎるんじゃない」
 と瞳に言われて玄は少し真面目な表情になる。まぁ実際、冗談を並べる余力も無いのだが。
「嬢ちゃん、一つ言っておく。魔法が夢と言うのなら幸福も夢だ。苦しい現実の中ではな」
「何が言いたいのよ、まわりくどいんだってば!」
「お前、頭悪いな」
「あんたに言われたくないわよ!」
「なら幸福画廊の存在も夢か? 画伯の存在も夢か?」
「なに言って」
「夢かどうかは問題じゃない。信じるか信じないかだ」
「私は白野様の描く幸せは信じてる」
「まるで愛の告白をしてるようだな」
 ニヤニヤと玄は笑った。と、幸福画廊が縦に横に揺れるのとは同時だった。玄と朱里以外はよろけて転びそうになる。
「白野様!」
 と小鳥は思わず、階段を駆け上がる。
「お待ちなさい、小鳥さん!」
 と追いかけようとする朱里を玄は止めた。
「瞳」
 と目で追うよう指示をする。瞳は素直に応じた。
「玄君、何のつもりですか?」
「去年と同じだろ。執事の見たものを嬢ちゃんが見るだけだ」
「しかし、それは!」
「画伯の飼っている化け物とご対面だ。むこうには銀と楓がいる。心配は無い」
 と窓を見やる。
「むしろ、こっちが問題かもな」
 カーテンが一斉に開く。いつもの風景は無い。黒一色。窓には無数の蠅が張り付いている。その窓にわずか亀裂が走っている。玄は指で火種を操作し、窓へと近づけた。蠅は窓を破壊する事をやめて、その周囲を飛び回っている。
「今年はずいぶん、難儀だな」
「白野様も大量に絵を描かれましたからね、求められた人に」
「何枚?」
「五枚」
「一年の間にか? 馬鹿じゃねーか」
 苦笑。朱里も苦笑する。
「本当に困ったものです。できれば私も白野様には自分の為に絵を描いて頂きたい。そうであれば、苦しむ事も無いのに」
「でもそれじゃ、さびしいよ」
 愛が玄の隣に立つ。しっかりと玄の手を握って。玄が倒れないように。
「愛様?」
「誰かの為に何かを成す事は決して容易じゃないけど、だからこそ誰かの為に幸せをあげたいと思うんじゃない? 私は少なくとも玄君にはそう思うよ」
「それは白野様に対して私も常々、そう思っております」
「白野さんは求める人の全てにできるだけ与えようとするのね、幸せを」
「左様です」
「それは想うだけじゃ、できる事じゃないよね」
 朱里は小さく笑んだ。煙草を取り出す。火をつけてゆっくりと煙を吸う。
「玄君」
「なんだ?」
「煙草吸いたいでしょ?」
「アホ」
「本当は吸いたいでしょ?」
「愛に殺されるから今はいい」
 と言って睨む。「お前、本当に性格悪いな」
「玄君」
 と愛はつけたした。冷たく。「今は、じゃないの。ダメ。煙草は体に悪いんだよ」
「玄君」
 と朱里は微笑し紫煙をゆっくりと吐きだした。
「煙草は体に悪いですよ。おやめなさい。素敵なパートナーを悲しませるのはよく無い」
「あのな、パートナーとかそういう仲じゃ」
「じゃ何ですか?」
「だから・・・・」
 言葉がでてこない。
「玄君の相棒は銀君だものね。だから私は玄君の幸せになりたいかな」
 まるで悪戯をする子どものような表情で愛は言ってのける。玄の返答は無い。ただ、耳まで真っ赤になっている事を除けば。
「なるほど」
「何がだ?」
「以前の銀様のお言葉、理解できました」
「何か言ったか?」
「幸福画廊の絵は僕らには必要ないと」
「そうだったな」
「同感です。私も小鳥さんもだから白野様の絵は欲さないのか、と。欲しているのは白野様なのかと。妙に感心してしまいました」
「勝手に感心してろ」
 と悪態に近い言葉とは逆に玄の表情には、焦りが生まれていた。
「今年の代償はかなりデカイな」
 さらに十字を切る。火種はさらに強く紅く燃え上がる。

■3

 銀と楓は白野を守るように立っていた。
 白野が飼っていたモノは膨張を繰り返していた。最初はまるで卵のようなものだった。卵は孵化する事なく膨れ続けた。血管のようなものが浮き出て、それは肉の固まりとなった。
 その肉形はまるで粘土細工をするように自分をこね回していく。
 醜く、腐敗と腐乱している光景。
 グロテスクな肉片は白野を一人ずつ作っている。ただし、本物の白野より美しくない。目のない白野、鼻のない白野、頭のない白野、腕のない白野、足の無い白野、胸にポッカリと穴の開いている白野、腕のありすぎる白野、足の多すぎる白野、全て未完成なまま大量生産は続く。
 白野は隊列を整える。足踏みを始める。全て整然と1秒のズレもなく。
「随分、卑猥だな。画伯をモデルでこんな姿、耐えられないね」
「あるいは僕の本当の姿なのかもしれないよ、銀君」
 白野は自嘲気味に笑むが銀はそれを否定する。
「もしそうだとしたら、これは代償でしょ?」
 ニコッと微笑む。
「画伯が人に与え続けてきた幸福への代償ですよ」
「だとしたら僕の背負うべき罪だね」
「毎回思うよ。よく画伯は人の幸福の代償を背負える」
「背負いたいわけでは無いよ。ただ、彼らは行くべき道がなくて、僕の絵を欲している。迷宮から誰もが抜け出したいから」
「それで画伯だけが抜け出せないのは不公平でしょ」
「僕はね、迷宮にいてもいいんだ」
 銀は思わず笑みをこぼす。白野の表情に詭弁は無い。
「朱里と小鳥ちゃんがいてくれる限り」
 とドアが開く。駆け込んできた小鳥と瞳に銀は驚く。
「瞳ちゃん、玄は何してるんだ?」
「下にいる。結構大変そうだけど・・・こちらもまぁ」
 と唾を飲む。案外冷静でいられるのは銀達と行動をともにして経験豊か故か。一方の小鳥は頭がパニックでオーバーヒート寸前だ。
「キテクレタんダ」
 と未完成の白野の一人が小鳥に囁く。その口をたたき割ったのは楓の手のひらから生まれた、宝石のような黒珠。手のひらの上をふわふわと浮いている。白野の一人が黒く溶けて消える。だがその倍のスピードで未完成の白野を生産していく。
「銀君、どうしよう?」
 と楓が聞いた。たいして焦るふうでもない。「一匹ずつ潰す?」
「さて、どうしたものか」
 いくら広い部屋もこう大量生産を繰り返されては、この肉人形達に押し潰されてしまう。それがオチでは何とも笑い話にもならない。まして画伯の顔を汚すこの肉人形の存在そのものに耐えられないものがある。
「楓、潰すぞ」
 と銀は十字を切る。「ただし、一匹ずつじゃない。全部、まとめてだ」
「了解」
 銀の目の前に銀色の炎が浮かぶ。楓の手の平には黒珠。銀炎は膨れあがる。彼らの大量生産をまるごと焼き尽くすように。そこに楓は黒珠を次から次へと打ち込んだ。
 肉片が焼かれ、飛び、眼球が抉られ、飛び、血が流れ、灰になり、腐乱臭が部屋を包み、手足がもげ、再生を繰り返し、焼かれ、生き残った肉形の凝固体がかすかに脈動している。
「タスけテ」
 手の一つが再生した。白野の美しい顔を象る。顔だけの完成形。首から下は手だけ。その手が小鳥を手招く。
「コとリチャン、ぼクハココダヨ」
 小鳥は手招かれて、思わず足が動く。それを止めたのは白野本人だった。
「小鳥ちゃん、僕は此処だよ」
「チガウ」
「違う」
「ボクガ」
「僕が」
「シラノダ」
「白野だ」
 小鳥は二人を見る。一方は醜く、一方は美しく。一方は寂しげで。一方は悲しげで。一方は完成されていて。一方は完成されていなくて。一方は一人で立っているけど、一方は立つこともできなくて。
 小鳥は白野の手を引いた。そして前へ進む。
 ぱちんと燃える銀炎。焼き続けられる肉片。唯一残った顔と手だけの白野の前に小鳥は屈み込む。
「私は」
 目を閉じる。
「どちらも」
 欺瞞は言えない。
「本物の」
 私は幸福画廊の絵が大好きだから。
「白野様------」
 信じると言ったから。
「だと思います」
 目を開ける。目の前の白野はその目から涙を流していた。
 横を見る。隣の白野も目尻を濡らしていた。
「僕は・・・醜いよ」
「私はもっと醜いです」
「僕は・・・絵しか描けない」
「私はお料理もできません」
 と小鳥は満面の笑顔で笑う。銀は自分が作り出した火炎を消す。グロテスクな肉の塊達はもうそこにはいなかった。楓は目をパチクリさせる。窓から日差しが差し込む。全ては終わった。
 何もなかったように静寂と鳥のさえずりだけが其処に残る。
「ごめん楓、僕の計算ミスだ」
「え?」
「醜いものを潰すだけなら誰にだってできる」
「でも、あれは白野さんに悪夢を---------」
「違う。悪夢じゃない」
 銀は力無く微笑んだ。「信じたか、信じないか」
「私は銀君を信じてる」
「・・同じ。小鳥さんも画伯を信じていたんだよ。彼の産み落とす幸福を」
 自嘲気味な言葉に、白野は首を横に振り否定する。
「それも違うよ」
 と白野はにっこりと笑む。そっと銀の手を取る。銀の手よりも繊細で柔らかくか細い手。その手から描かれる絵は、幸せを彩る。だがその幸福にはその代償と成りうる痛みも共存している。
「君達が来てくれたから、僕の中から彼奴らは出てきた。君たちがいなかったら僕は喰われてた」
 と窓を開け放つ。風が清々しく気持ち良い。
「銀君」
「画伯?」
「もう一度お願いしたい。君達の絵を描かせてくれないか?」
「もう描いているでしょ?」
 壁にかかっている幾枚かの絵に銀はすでに気付いていた。白野も微苦笑で応じる。
「正式に。画家としての依頼なんだけど」
「描いていただいても、僕らの部屋には飾るスペースはありませんよ」
「ちょっと!」
 と憤るのは小鳥だ。全財産をはたいてまで欲しがる幸福画廊の絵を銀は受け取らないと言う。その理由が分からない。
 さっと、風が銀の髪を揺らす。
「小鳥さん、君が幸福画廊の絵を欲さない理由と同じだよ」
 と銀は微笑んだ。小鳥には幸福画廊の絵は必要無い。白野がいる。朱里がいる。それが小鳥にとってのかけがえの無い幸福。それと同じ--------
 と下にいた面々が上がってきた。
「銀、終わったか」
 やけに疲労困憊な顔だ。愛に支えてもらってやっと歩いているという感じだ。それだけ下も大変だったらしい。心の中でご苦労さんと、玄に囁いた。
「これは随分とひどい有様ですね」
 と朱里はむしろ感心したように言う。カーペットは破れ、ベットは粉砕、天井に穴はあき、壁は酸で溶かされたようにどろどろになっている箇所もある。それがあれは夢では無い事を物語っていた。
「そうだ」
 と瞳はパチンと指を弾く。
「どうしたの?」
 銀がきょとんとして聞いた。
「私たち、みんなの絵を描いてもらったらどうかな。それを誰にも売りに出さず幸福画廊に飾ってもらうの。それを一年に一回、見に来るのよ」
「瞳、グットアイディアだよぉ」
 と愛もはしゃいで手を叩く。銀は小鳥と顔を見合わせて、思わず吹き出した。白野も目を点にしていたが、小さく頷く。その顔に笑顔が咲いた。
「いいですね、今からでもよろしければ、皆さんアトリエでモデルになって下さい」
「と言うことは白野様」
 と朱里は恐る恐る聞く。
「なに?」
「私と小鳥さんもですか?」
「勿論」
 今日の白野はよく笑う。「拒否は許さないよ」
 白野に満面の笑顔で言われたとなっては選択の余地は無い。勿論、小鳥は瞳と愛同様、乗り気で喜んでいる。
「今から・・かよ」
 と文句を言う玄に力は無い。そのまま愛の肩にもたれかかり、眠りに落ちてしまうのに時間はかからなかった。安らかな寝息は何とも無防備だ。愛はそっとその玄の髪を撫でる。まるで子どものように。
「玄はそのままでいいよ」
 銀は意地悪く笑った。白野も、小鳥も、朱里も、その場にいた全員が笑顔を浮かべていた。
 もしも幸せかと聞かれたら、今この瞬間、その言葉はよく似合う。

■4

その画廊の絵を見ると、人は幸せになるのだと言う。
これまでに味わったことのないような幸福感を得るのだと言う。
その絵を手に入れる為に世の金持達はこぞって大金積むのだと言う。
全財産を叩いても、惜しくないほどの幸福がその絵の中にはあるのだと言う。

【幸福画廊】
そこは不可思議な人生の一瞬が描かれるところ・・・。

その幸福画廊の奥に
絶対に売りに出さない一枚の絵がある事を知る者は少ない。
朱里が居心地悪そうに。
小鳥は瞳と一緒にコーヒーを飲みながら。
銀は楓と窓の外を眺めて。
玄は中央のカーペットで愛に膝枕をされて。
そして白野がキャンバスに筆で色を入れていこうとする姿が描かれている。
この絵が売りに出される事は無い。
この絵以上の幸せはきっと無いから。
そう絵の隅にshiranoの名とともに刻まれている。
誰にも或る幸福の為に、その代償を背負う者達の安息を---------

-end-

--サンクス--
朱里白野小鳥ダグラス
オカザキレオさん:超電導物語空間
作中に登場する銀、玄は、オカザキさんの小説「暗黒流星と十字の満月」シリーズの登場人物です。
そちらの作品も是非ぜひ合わせてご覧下さい。



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