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197 エリーゼのために
2010年6月7日(月)

義父の加減が思わしくない。先日は血圧が下がるなどしてお医者から緊急呼び出し。ダンナは職場から呼び戻され、まさかに備えて喪服一式まで抱えたドタバタの帰郷とあいなった。縁起でもないことだが、いざおいそれと取りに帰れる距離でもない。年老いた親と遠く離れて暮らすのはなかなか難儀なことである。

帰ったその日は私が義父に付き添って病院に泊まった。一時意識のなかった義父だが、未明頃から持ち直し、現在は個室から大部屋に戻れるほどに安定している。だが、もう義父が次に家に戻るのは息が絶えた時である。ダンナと義母は葬儀社にも出向いて、然るべきそれそれの算段を始めた。実父の葬儀はどんなだったかなぁと思うが、十年以上昔のことで、ただ沢山の音や感情がザーッとやってきて、私を捕らえてもみくちゃにして、そして波が引くように過ぎ去っていったというような茫漠とした記憶しか残っていない。だが、今回義父に付き添ったことで夜の病院の雰囲気というのはありありと思いだされた。

私は実父の時にも病院で何泊かした。夜の病院というものは静寂なようでいて、これがどうして、そうでもない。まず、ピッピッという機械音、音の高さやテンポを変えて近くから遠くから幾つも聞こえる。ボイラーだろうか、地の底で呻るような低音も途絶えることなく響いている。それに看護士さんの足音や、咳をする音、痰を切る音、ぼそぼそとした話し声、いろいろ混ざる。日中病院にいてもあまり気にならない音たちだが、病棟独特のものだと思う。もの悲しさと、ピッピッと鳴る機械音を一つ二つとただ数えているしかないような、どこか手持ちぶさたな感じ。それに一片の焦燥がまとわりついた、看病する者の心中に不思議とそぐった音である。

実父の時にはなかった「エリーゼのために」のメロディが頻繁に聞こえてくるので、さてなんだろう? と思っていたら、しばらくして、「どうやらナースコールらしい」と察した。曲の鳴るたびに看護士さんがばたばたとナースセンターから駆け出していく。その曲が「チャララ」くらいで切られる時もあれば、「チャララララララララーン、チャラララー、チャチャララー」と長く鳴っている時もある。半時間以上鳴らないときがある。かと思うと立て続けに鳴るときもある。沢山の命が闘っているなぁと思った。思いながら義父の血の混じった痰を拭った。

明け方に、意識の戻った義父と最初に目が合ったとき、
「お義父さん、私、誰だか分かります?」 と聞いたら、
「○○さん」 と、多分親戚であろう私の知らぬ人の名を言った。
しばらくして、看護士さんがもう一度同じ事を聞いたとき、
「ついさん」 と、言ってくれて、私の顔をじっと見ていた。名を呼ばれてそれを当たり前でなく嬉しいと感じることはそう多くはないだろう。実父は倒れてから亡くなるまで一度も意識を戻さなかった。ああ、そうだったなぁと思い出される。

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