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151 自分の葬式
2007年2月2日(金)

やっぱ、日々の疲れが出ているのだろうか、自分が死んだ夢を見た。

「会わせたい方がいらしたら、なるべく早めに……」とのたまう医師の言葉に、
「いらーん! 誰も死に目になんざ来んなー。親も親戚も友人も全てご免だ。ダンナが居ればそれでいいー!」
なぞと、周囲を困惑させる台詞を叫び、挙げ句、その意志を貫いてダンナ一人に看取られつつ心静かに死んじまった。死ぬ瞬間はダンナの顔で締めくくりたいと思い、じっと凝視していたのに、直前首がことんと垂れて、ホントの最期に目に映ったのは白い枕カバーとベッドの縁だった。「人生最後の最期まで思い通りに運ばんわ……」と笑っちまったもんである。夢の分際で妙なとこだけ現実的で、こりゃイヤミか? と思う。


さて、夢はここから更に私らしい展開となる。
私は死に目にも人に会いたくなかったが、葬儀の際も参列者に死に顔なんざ到底晒したくなかったのである。よって、一計を案じダンナに入れ知恵をした。幽体となった私曰く、
「オイ、棺桶の中の私の顔にひよっとこのお面を被せろ」
最期の別れに、参列者が棺桶の顔部分の扉をご開帳すると、ひよっとこ面が現れるという趣向である。ユーモラスでなかなか悪くないアイデアだと思う。現実でも是非こう願いたい。「変わり者」との誹りを受けることだろうが、死に顔見られる苦痛を思えば、それくらいは甘んじてやる。

ダンナちゃんに、「こんな夢見たよー」と報告したら、「アンタらしい」と大いに笑って、
「でも、どうしてひょっとこなの? おかめじゃないの?」 と訊かれた。うーん、おかめが女面ではあろうが、私の顔はやっぱひよっとこが近いと思う。第一、おかめは能面に似てユーモラスさに欠ける。棺桶の中ではきっとコワイ。

他にどんなお面が葬式向きか、という話に花が咲いた。
キツネ面は絶対ボツである。参列者が呪われそうだ。泡を吹いてひっくり返る。
縁日で売られているようなお面でも可だが、見る人が好き勝手にメッセージ性を見いだしそうな手合いは困る。メッセージなんざ、そもナイんだからして。仮面ライダーも嫌だなぁ。アレ虫だし。

「じゃあ、ゴレンジャーのお面はどう?」とダンナちゃんが提案した。
大変宜しいと思います。ゴレンジャーは私の子どもの頃のヒーローだし。アカレンジャーなら、さも血色の良い死に顔である。痛快だ。その場合は葬儀場に流す曲もゴレンジャーで統一したい。
 真っ赤な太陽 仮面に受けて 願いは一つ 青い空〜♪

そうだ。自分の死ぬときは、青い空に消えていきたい。

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