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142 墓
2006年8月15日(火)

盆にちなんで、実家の墓のことを書く。
実家の墓はなかなかに立派な墓である。どう立派かというと、戦時中に陸軍将校さんが「どうか売って下さいませんか? 金はもうそちらの言い値で」と打診してきたんだそうな謂われ(?)のある墓所である。

敷地は広く、門の正面は岩の入り組んだ低い崖になっていて、その岩を伝って小さな小さな滝が流れる。山からの湧き水が作る自然の小滝である。それが下の岩の窪地に貯まって、簡素なため池となっている。崖の上はツタの絡んだ木がうっそうとしていて、こちら側に垂れ込めている。時折、その木々からの落ち葉がハラリと舞ってため池に落ちる。崖の上には水神様。夏場は勝手に鶏頭の花が生えてくる。その赤が可愛らしく美しい。風情である。盆の出血サービスで3割り増し美々しく描写しているが、3割り引いてもそうはない良い墓よと思われる。将校さんが「たって」と欲したというのも頷ける。

しかし、この墓。風情故に難儀な墓でもあるのである。
垂れ込める木々からの落ち葉掃き、難儀である。小池の泥掬い、難儀である。岩の間から生える雑草刈り、足場も悪いから難儀を極める。御難尽くめの墓である。

盆の掃除に行くと炎天下の作業で死にかける。亡者の供養に行って、自分が亡者になりかけるのだ。よって、掃除の終わる頃には脳みそが鶏頭の花のごとくトサカだって、ご先祖の御霊に手を合わせるどころか、「よくも!」と喚いて墓石を蹴り倒したくなってしまう。ご先祖は子孫に墓守をして貰いたいなら、もっと手間の掛からぬ仕様の墓を仕立てるべきだと思う。「なんで陸軍将校さんに売っ払っちまわなかったんやー」と苦々しく思うことこの上ない。

さて、この墓。近いところでは私の幼くして死んだ妹、そして父が入っている。他にも叔父、叔母、祖父母、あとはもうよく知らない人達がそれはもうわんさか入っている。みな、風情ある墓を終の棲家にと思うのだろうか? 直系・傍系を問わず墓石に名を刻む場所が足りないくらいの数が「居る」。中には十字架の印の刻まれた古い名もあって、「なるへそ、これぞキリシタン」と我が故郷・長崎の歴史を忍ばせてくれたりもする。係累のみならず、宗派にすら拘っていないわけだ。余り物事に拘らぬ質の父方一族らしい大雑把ぶりが窺える。「だから没落するんやー」と直系子孫の私など、密かに思っていたりする。おお、墓をして知る我が血族の性根よの。

長崎大水害の折に水脈が変わったらしく、墓の滝は消え失せてしまった。風情が減って長く寂しい墓になっていたが、そのうちまた水が戻ってきた。10年以上絶えていた湧き水の復活は、しみじみと嬉しいものであった。陸軍将校さんに売られていたら、私には見ず知らずの墓であったろうに。ああ、と時の流れを思う。墓石をなぜる。鶏頭の赤がふるんと揺れた。

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