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120 数学の思い出

「思い出シリーズ」第3回目。本日は私でなく、母の思い出話である。

私の母は、異常なホドに数学がキライだったらしい。「この世に数学なかりせば、私の心はのどけからまし」っていうくらい、大キライだったそうだ。当然成績も悪かった。逆に国語は尋常でなく出来たンだそうで、国語の教師からは「秀才」、数学教師からは「箸にも棒にもかからないバカ」と思われていたんだらしい。なかなかソーゼツな過去である。我が母上に相応しい。

さて、母の高校時代。数学の時間。母は教師に指名された。
曰く、「黒板に書かれた数式は、どんなグラフに表わせるか?」

母は、うんざりしていたらしい。出来ない、と分かっているのに毎度毎度ヒツコク母を指名する教師のその性格に。で、「分かりません」と答えたら、「グラフが右に伸びるか、左に伸びるかも分からんのか? どっちか答えるまで座らせんぞ! 今日の授業は終わらんぞ!」と恫喝された。

愚考するに。こういう場合、教師が幾ら脅そうがスカそうが、生徒は分からないのである。ってか、強制されればされるほど、やる気が失せてしまうのが人情というものではなかろうか? ちなみに、私がこーゆー場面に遭遇したら、プチッとイっちまうと思う。意地でも分かってたまるものカ、と思ってしまう性格である。こんな私でゴメンなすって。

で。流石は遺伝子が繋がっている我が母君である。この日の彼女もブッツリ意地になったらしい。
「右か、左か、さあさあさあ!?」 そう、たたみ掛けてくる教師に向かって、ボツリとひと言、
「……横」 と、答えた。

今の時代ならともかくも、母の高校時代である。その高校で女生徒はとても少なく、一クラスに2、3人しか居ないような、そんな時代だったそうな。そんな中で女の子が「横」と答えるのは、大した肝っ玉ではなかろうか? 母が「横」発言をカマしたその時、隣りの席に座っていた男子生徒は、思わず「うわぁー」と漏らしたそうな。母の肝っ玉のホドをご理解頂けるだろうか?

教師は真っ赤になって怒ったらしい。先生の職務を思えばマコトにお気の毒であるガ、この場合、母の勝ちだと思う。先生に怒られて奮起する生徒、逆に意固地になる生徒、ヘタすっと意気消沈して浮上できない生徒だっているのである。教師は自分のやり方をゴリ押しするのではなく、生徒の個性に合わせたケアをするべきだろう。っつーか、そうあって欲しいと切に願う。この母の武勇伝(?)を聞くたび、そう思う。


さてさて。こんな母の娘であるのも関わらず、私は数学の成績は悪い方ではなかった。モチロン、秀才と呼ばれることはなかったが、バカと誹られることもなかった。

「……アンタ、ホントウにお母さんの子? 橋の下から拾われて来たんじゃないのぉ?」
添削された数学の答案用紙を見せるたび、母から言われ続けた台詞である。思い返せば……結構、ヒドイ。
教師だけでなく、親も子どもの個性に合った対応をするべきだよな、と、今これを書いていてそう思った!

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