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2014年01月 の日記

#過日ノワタシ
2014/01/02

明けましておめでとうございます。久しく更新しておらず、これ書きながら、自分のHPってそういやこんなデザインだったんだなーとしげしげと見ていたりする宇苅です。皆さまお元気でいらっしゃいますか。

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昨年末、大掃除をしながら『宗谷岬』など気持ちよく歌っておりました。
流氷とけて 春風吹いて
ハマナス咲いて カモメもないて
はるか沖ゆく
ぅー (調子づいて高らかに熱唱)
海賊船の〜〜〜

……ん? なんか違う。違うぞ。海賊王になんざおらはならねぇ。気を取り直して、
南極船の〜〜〜
……宗谷岬は北だろうに。なんかもうなんでも良くなってきて、
沈没船の〜〜〜
……よくない、よくないよ。これだけはどうしたってダメ、絶対。
どうにも歌詞が思い出せず、掃除もそっちのけにネット検索致しました。正解は「外国船」でありました。

では、もう一度最初から。

流氷とけて 春風吹いて
ハマナス咲いて カモメもないて
はるか沖ゆく 外国船の
煙もうれし

ここでダンナちゃんが割り込みヤがりました。
矢切の渡し〜♪

ダメだから。ダメだから。矢切の渡しに流氷寄せちゃあダメだから。はるか沖にどこまでも行ったなら「渡し」なんかじゃないんだからね。……私達夫婦は相変わらずです。

追記:コメントを頂きました。その中の一つ。
>>ナツメロですね
+++すみません。古い人間なもので。
ところで、『矢切の渡し』の歌詞をちょこっと変えると『宗谷岬』の伴奏でまんま歌えることに気がつきました。

「つれて逃げてよ」 「ついておいでよ」
雨が降る降る 矢切の渡し
親のこころに そむいてまでも
恋に生きたい 矢切の渡し

……とてもさわやかで楽しげな矢切の渡しになります。お試し下さい。

#ダンナちゃんに「山頭火?」と問われるも分からずネット検索。釈迢空だそうな。孫悟空に見えた
2014/01/06

道を歩いていると、時々出くわすモノがある。
そうすっと、うかぶ歌がある。多少修正されている。

「踏みしだかれて、色あたらし。この犬クソを踏みし人あり」

放っぽといた奴はクズの花。

#七日粥
2014/01/07

年末年始は悲惨であった。三十日朝、大いなる不快な目覚め。それは唐突に始まった。吐くわ下すわ大騒動の幕開けである。食物アレルギー的になんかにあたったのである。私はトイレの住人になった。

熱が出て頭痛も非道く、市販薬を飲むも速効リバース。ただ白湯を一口飲むだけでもヤばい。私は一切の経口摂取を放棄した。ならば、然るべき医療施設にて点滴でも打って貰うとよかろうが、まぁ私はこの手の状況にはある意味慣れてしまっている。経口摂取だろうが血管補給だろうが、全般に水分入れればどのみち体外放出となる。そこにはただ多少の時間差があるだけだ。第一病院は開いてない。だって年末なんだもの。

経験上、丸一日トイレに這い蹲っておれば自然回復するだろうと思った。のに、二日経ってもまだ白湯がヤばい。ハゲシク計算外である。年越し蕎麦が−、お節の用意が−、ナニも出来ない。時間は無情に過ぎていく。ダンナちゃんは哀れにもスーパーのオードブルを買いに行った。独りでそれを喰らっておった。私は記憶に残る限り初めて年のまたぎの瞬間を知らずに虫の息で寝ておった。

元旦。昼過ぎて、やっと起きられるようになった。粥を炊いてちょびっと食べる。立ちっぱなしだとどうもふらつくので、大根なますの千切りを居間のテーブルで座ってやった。自分の分は細い千切りがメンドウでもあり、弱った体を労ろうとも思い、煮なますにする。半死人だった間に本来なら食らい尽くす筈だった悪くなりそうな食材でもう一品。雑煮も作る。自分の分は餅ナシの雑煮。それは雑煮というのかい? まぁもぅ、なんでもイイやぁぁ。とにかくダンナちゃんと正月を祝う。

喰ってまた寝て、夕飯を作った。も、とにかく我が身可愛さで消化の良さそうな蕪の煮物にする。千枚漬けの予定とかそれがどうした。買いおきの鯛を塩焼きにした時点で力尽きたようである。写真に写るお頭付きがめっさぞんざいに置いてあって、今見ると笑える。今年の正月膳のなんとひんそーなることよ。


……そうして、もう回復したかなーと信じていた昨日六日。こんだ、風邪をこじらせちゃっているのでありますよ。
今日は七草粥ですね。私は年末からずーっと粥です。タイトル通りの七日粥です。間違いじゃないのよ、うふふのふ。

追記:コメントを頂きました。その中から。
>>年始早々お疲れ様です……お体ご自愛下さい
>> 具合の悪いときはご飯とか作らなくて良いんですよ(T_T)少しは快方に向かっておられるでしょうか?お大事になさってくださいませ。
+++お見舞いありがとうございます。新春早々病気ネタで不景気なことで恐縮です。
ダンナちゃんは大晦日は普通に日勤。元旦は夜勤でした。世の中の大概の人が連休なのに黙々と働くダンナちゃんに、せめて雑煮くらいは食べさせてやりたいなぁと思っちゃうじゃないですか。大体、お気の毒にもダンナちゃんは「もうこの家の埃っぽさに耐えられない。掃除するー! 止めてくれるなー!!!」とごねる埃アレルギーとアトピーも抱えるしょうもない女房のために、元日早々掃除機まで引いて回ってくれたんですよ。うう、可哀想すぎる。。。しかし、この勤務日程を顧みるに、蕪の煮物と鯛を焼いたのは元日でなく二日の夕方のようですね。雑煮を食べてダンナが夜勤に出た後は私は爆睡していたんでしょう。病気すると記憶があやふやで困りますね。今更本文を変えるのもめんどうなので、ここでお詫びと修正と補足を書かせて頂きます。ごめんちゃい。

#こいつぁ春から
2014/01/09

ダンナちゃんが買っておいてくれたバナナを食べたのですが。
バナナって……なんつーかこんなに重い食い物だったんでしたっけ? 咀嚼運動とはこんなに手間の要るかったるい作業でしたっけ? 二口頑張って残りはラップにくるんでしまいました。本日の昼飯はここまでに致しとう御座いまする。……夕飯はまだまだお粥ということカ? 正直メンド臭ぇなぁー。私は炊き込みご飯が作りたいんだ。年末から買い込んである材料がまだまだあるから。
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風呂に入って、頭を洗っておりましたらね、たらーっと鼻血が出てきました。昔も鼻風邪の時、同じ事をやりました。あぁ、またかーと思うのみです。鼻の粘膜が弱っていて湯温で血行が良くなるかして、たれーっと致してしまうのでしょう。前と同じように垂れ流しのまま洗髪続行致します。だってねぇ、泡だらけの頭を抱えてどうしろっていうんでしょ? 幸い服も着ていないのだから、湯を流せば済む話です。そう思ってたれっ、たれれれっとしながら目ぇ瞑って気の済むまで頭こしゃいでですね。目を開けたらあの時にゃ、太ももが予想以上な血の海でびっくりしたのでありました。なんか、皮膚表面が濡れていると血って広がるみたいです。いつの日か小説の小ネタとして生かせるやもしれません。いやはや、なににつけ、ヤってみなけりゃワカラナイ……。

んで、前を踏まえて、想定内の血の海をば、どぅれ拝んでやろうかい。髪を洗い終わって目を開いた矢先。
びぇーっくしょん!
想定外のどデカいくしゃみが出ちゃいました。したらばさ、もうほとんど止まっていた鼻血様が御復活。いや尚増してタリタララ。
どーしようかと思いましたね。だって寒いんですよ。私は湯船にこの身を沈めたいんですよ。前回のこの時にはもう鼻血は治まっていたんですよ。人生のある程度は勝手に知ったような気になっていますが、いやいや、油断なりません。まだ見ぬ先がありますね。ホントウにイヤってぇほど……。

どーしようかったって、選択肢は一つです。私は湯船に浸かりました。洗い桶を鼻の下にすけながら。。。ぴちゃ、ぴたーん、トカ。垂れ流しの音を聴きつつ。風情がねぇなぁーとつくつく思いました。湯船に洗い桶と言ったなら、普通考えるのは酒じゃないかと思うのです。露天でね、雪なと月なと花なと見ながら洗い桶をたぐり寄せて一献。嗚呼、ムナシサもヒトシオです。

でも、ぽたんぽたんする音をぼーっと聴いているうちに、こりゃ「水琴窟」じゃね? と思えてきました。野趣溢れすぎですが、幸いにも思おうとして思えぬほどに、私の想像力は貧困ではないのであります。

呵呵笑い、こいつぁ春から風情じゃわい。

#人生のグルメは人との出会い本との出会い
2014/01/16

『孤独のグルメ』【新装版( ISBN-13: 978-4594056445)をわざわざ買う。わざわざをわざわざ付けるのは文庫版を既に私は持っていて何度だってシツコク読み返していたからだ。さて、新装版には「10年ぶりの新作に加え、久住昌之×谷口ジロー×川上弘美による鼎談も収録」とあった。『センセイの鞄』の川上弘美が浮かぶ。この鼎談の川上氏はあれを書いた風の(と手前勝手に信じる)川上氏であろう。読みたい。それに文庫版は折角の緻密な絵だって潰れているし。。。悩んだ挙げ句に買い求めた。結論。買って大正解!

読み返して、原作である久住氏の『野武士のグルメ』にも興味を持つ。amazonさんかなーと思っていたら、なんとダンナちゃんが持っているという。マンガと思って買ってみたらエッセイだったので未読のままだと抜かしおる。こやつっっと思うが、すぐさま手に取れるのはなんたる果報か。嬉しさに目次をペラペラとめくってみる。中に「死んだ杉浦日向子と飲む」というのがあった。しばし黙す。杉浦氏著のエッセイで久住氏から手製のちょこを頂いたという件のエッセイを読んだ覚えがあったからだ。いいなぁー、このちょこ私も欲しいと思ったので強く印象に残っていたのだ。

>(杉浦氏と)飲んだのは十五年ほど前のことだ。今「じゅうごねん」と打って漢字に変換して、ちょっとびっくりした。(中略)亡くなったときのことも、なんだかずいぶん昔に感じられる。
>人は死ぬと、生きているときとは違う時間の経ち方で、死に続けているらしい。
「死んだ杉浦日向子と飲む」より

久住氏のさりげない哀切が(逆に)染みいる。杉浦日向子の余りにも早すぎる死が惜しまれてならない。思うに。人生のグルメとは文字通りの舌で味わうものだけでなく、人との出会いもそうではないか。事実、味わい深い人と飲む酒の味は格別である。その人との会話こそが最上のつまみとなり、酒はその呼び水となる。本とて然り。
嗚呼、杉浦氏。もしも存命であったなら、久住氏は言わずもや、屹度NHKの『ぶらタモリ』にも出演して頂けたであろうに。私はそれを見ながら、楽しい酒を飲んだだろうに。

無念と置き換えたいエッセイを読んだ。気落ちしたので『 第一阿房列車(内田百閨j』を読む。気を取り直す。


2014年01月 の日記




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